島崎藤村ゆかりの宿

明治の文豪・島崎藤村は明治32年、小諸義塾(私塾)に英語と国語の教師として赴任し、足掛け7年ほどを小諸で過ごしています。
「もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか」と自らに問い、小諸で結婚し子供を設け文学者となる決意をしています。
藤村にとっては、小諸時代と呼ばれる重要な時期だったのです。

そんな藤村を小諸で支えたのが小諸義塾の塾長・木村熊二。
そして足繁く通ったのが中棚荘(当時は中棚鉱泉)です。
アメリカで医学を学んだ木村熊二は中棚付近の湧水を使うと、切り傷の治りが早いことに気づきます。
木村熊二が協力し、明治31年に開湯したのが中棚鉱泉です。

『千曲川旅情の歌』(島崎藤村『落梅集』より)に、
「千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む」
とありますが、「岸近き宿」とはまさに中棚荘のことです。

「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり」(島崎藤村『若菜集』より「初恋」)。
有名な「初恋」が世に出たのは、明治29年。
当時の日本では、好きな相手と自由に恋愛し結婚することはまだまだ一般的ではありませんでした。
自分の気持ちに正直に恋をする若いふたり。その姿は西洋文化が流入した「新しい時代」の幕開けにふさわしく、大胆で新鮮なものだったのです。

そんな「初恋」をモチーフに、中棚荘では10月から5月ごろまで内湯の湯船にりんごを浮かべる「初恋りんご風呂」を楽しめるようにしています。

10月30日は「初恋の日」。
島崎藤村が『文学界』46号に「こひぐさ」の一編として初恋の詩を発表したのが明治29年10月30日。
それを記念して中棚荘が日本記念日協会に申請を行い、登録された記念日です。
秋になったら「初恋」を思い出しながら、ぜひ中棚荘に遊びにおこしくださいませ。

水明楼

中棚荘に隣接して建ち、中棚荘が管理するのが水明楼。
小諸義塾の塾長・木村熊二の書斎で、島崎藤村と夜遅くまで語りあった部屋が昔のままに残されています。
木村熊二は明治26年11月から明治39年3月まで、小諸義塾塾長として小諸の青年教育に尽力し、果樹栽培や農産物の加工を奨励しています。
千曲川周辺の自然を愛した木村熊二は眺めのいい中棚の地を選び、明治31年5月、藩士の屋敷にあった書斎を移築。
山は紫に霞み、川は澄みきって美しいことから「水明楼」と名付けたのです。

「水明楼へ来るたびに私は先生の好く整理した書斎を見るのを楽しみにする。
そればかりではない、千曲川の眺望はその楼上の欄によりそいながらほしいままに賞することができる」
(島崎藤村『千曲川のスケッチ』)

見学は無料ですので、中棚荘にお泊りになったらぜひ水明楼をのぞいてみて下さい。

懐古園

大手門より天守台に向けて、徐々に下がっていくという火山灰台地という独特の地形を巧みにいかした名城が、「日本100名城」のひとつ小諸城。

その不思議な縄張りから「穴城」とも呼ばれ、『風林火山』の主人公、軍師・山本勘助の築城とも伝えられます。

徳川秀忠の上田城攻略の本陣が置かれたのも小諸城。『真田丸』『真田太平記』ファンも注目の城郭です。

現在は「懐古園」として整備され、藤村記念館、小諸市動物園などがあります。
散歩にも絶好の地、「千曲川旅情の歌」の詩碑もあるのでお見逃しなく。

懐古園は白鶴城や酔月城とも呼ばれた小諸城の跡で三の門には徳川家達(いえさと)公の筆になる「懐古園」の大額が掛かっています。
小諸城は、全国的にも珍しい城下町より低い穴城で、浅間山の火山灰で出来ている谷と丘を利用して造られ、水を用いず、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっています。
また、文豪島崎藤村の千曲川旅情の歌「小諸なる古城のほとり」でも知られる信州の名園となっています。

via: 小諸城址 懐古園 | 小諸市オフィシャルサイト