平成小諸義塾

中棚荘の前身である中棚鉱泉は、小諸義塾(こもろぎじゅく)の塾長だった木村熊二(きむらくまじ)らとともに、明治30年(1897年)に開湯、明治31年に開業しております。木村は中棚鉱泉の発掘にあたり、その近くに書斎として「水明楼」を移築し、中棚鉱泉と「水明楼」を文化人や塾生の集まるサロン的な場として活用したのです。

小諸義塾は、明治26年11月、小諸の青年・小山太郎らの熱意ある要請に応えて、木村熊二によって誕生した私塾です。
生徒は、当時あった高等小学校(後期初等教育・前期中等教育機関で10歳から14歳が就学)を卒業し、なお向学の志に燃える近郷の青年たち。遠隔の者には寄宿舎を与えて、寝食をともにしました。
その後、私立の中学校として認可を受け、島崎藤村(英語・国語担当)、水彩画家の丸山晩霞(まるやまばんか)、洋画家の三宅克己(みやけこっき)、理学士で現在の東京理科大学の創立者のひとりでもある鮫島晋(さめじましん)など、豪華な教師陣を加えて、充実した地域教育の核となったのです。
しかし、個性的で自由を特色とする教育は、日清戦争から日露戦争へと突き進む国家主義的な教育制度に阻まれて、明治39年に廃校になっています。

平成7年(1997年)、木村熊二ゆかりの中棚荘は、100周年を記念して、小諸義塾の理念を継承し、過去の遺産を生かして21世紀に向かって文化活動を行ない、地域の振興を目ざし、都会の人々と、地域の交流の場として「平成小諸義塾」を開講いたしました。

平成小諸義塾開講のごあいさつ

明治28年、長野県の明治近代教育のために佐久小諸の地元が要請して学者木村熊二を招き、創立した学校が小諸義塾です。
自由な校風で知られ、若き日の藤村を始め、井出静、鮫島普、三宅克己、丸山晩霞など著名な教師陣をそろえて地域の人材を育てました。

この教育のさきがけとなった学校にちなみ、「平成小諸義塾」が生まれました。
歴史、文学、音楽、アートなど様々なフィールドから楽しい学習、体験、創作、交流の発信地を目ざしたいとご案内申し上げます。

平成7年5月吉日 塾長・富岡正樹