中棚荘は本年9月1日をもちまして創業120周年を迎えました。

これもひとえに中棚荘をご利用してくださいますお客様、支えてくださる関係企業様のご支援、ご愛顧の賜物と心から感謝いたしております。

<中棚温泉の歴史>

1892年(明治25年)、中棚(地名)付近の湧き水で遊んでいた子供たちの、手の傷の治りが早いことに気づいた、当時の小諸義塾の校長である木村熊二は自身が13 年間渡米した中で、キリスト教の他に医学を学んだこともあり、中棚の湧き水が自身のリウマチなどにも効能があることに気づき、鉱泉開発に携わったとされています。

この当時、初代富岡豊次(とよじ)が、畑としていた土地から鉱泉が湧き出ていたことから、木村熊二とともに鉱泉開発を行ったとされています。その後、先代から温泉開発に着手し、地元の人が利用する公衆浴場と社交場的な場所として賑わうようになりました。

1898年(明治31 年)9 月1 日、代を受け継いだ2代目富岡重蔵(しげぞう)が「中棚鉱泉」として開業届を提出しました。当時の「中棚鉱泉」は地元の人が利用する公衆浴場と社交場的な場所として賑わうようになりました。

※創業当時の「中棚温泉」と「水明楼」

その頃、木村熊二の教え子であった島崎藤村は、小諸義塾の英語と国語の教師をしながら、恩師である木村熊二の別荘の「水明楼」へよく足を運んだとされ、水明楼のすぐ近くにあった「中棚鉱泉」をよく利用していたとされています。赤みがかった酸性の鉱泉は、藤村も非常に気に入り、時には小諸義塾の生徒を連れて足繁く通ったということです。

旅館業として本格的に営業が始まったのは、1926年(大正15 年)9 月からでした。開業当初は木村熊二や島崎藤村も「中棚鉱泉」の営業を手伝っていたといわれています。

以上のことから、「島崎藤村ゆかりの宿」いう名前がついた理由となっています。

これからもお客様に取って、必要とされる存在であり続けたいと思います。

今後とも中棚荘をよろしくお願いいたします。

 

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信州・小諸は、小諸城(現・懐古園)の城下町、そして善光寺に通じる北国街道(ほっこくかいどう)の宿場町で、昔町の面影を色濃く残しています。 また、島崎藤村が「小諸時代」といわれる足掛け7年間をすごし、「もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか」(島崎藤村『千曲川スケッチ』より)と考え、ついに文学者として生きようと、決意した地でもあるのです。 そんな、小諸にある「隠れ宿」が中棚荘。 島崎藤村ゆかりの宿で、「もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか」をテーマに宿を営み、当主で5代目を数えます。 中棚荘は、平成館、大正館、そして登録有形文化財の食事処「はりこし亭」の3つの建物があります。 小さな宿ではありますが、どうぞごゆっくりとお過ごしください。